母のこと 母の日記

無いものねだりを他者に求める

投稿日:2016年2月28日 更新日:

昨日、母と電話で話していたんですけど、不本意ながら少しばかり興奮させてしまいました。

亡くなった祖母(母の実母)の話しになったとき、母が「喧嘩ばっかりしたけど、本当はお母さんのことが好きだったんよ」と言ったんですね。

母と祖母は、ほんっっとによく喧嘩していました。母のうつ病が重くなってからは、喧嘩をしては、祖母に対して口汚く罵ったり、カッとなって手をあげることもありました。

一度や二度じゃないんですよね。

SnapCrab_No-0000
うつ病の母の日記

母も限界だったんだと思います。自分の母親を叩いてしまう自分が許せなかったと思います。

そんなだったけど本当は「大好きだった」と。「喧嘩するほど仲がいいって言うし」と。

で、私はそれに同調するつもりでつい、言ってしまったんですよね。

「そうよね。喧嘩してたもんね。まあ親子っていっても他人だから」

それを聞いた母は、

「え?なんで他人?他人じゃない!親子だし!バカなこと言わないで!」と興奮気味に反論されてしまいました。

「いやいや、そうなんだけどね、親子の前にひとりの人間でしょ。他人として見ることも……」

と言い終わらないうちに、

「血がつながってるのに、他人とか言わないで。親子!」とピシャリ。

根が深いなと思いました。

「他者」として認識する

というよりも、母のように考えるのが一般的なのでしょうかね。どっちにしても、電話で話して分かってもらえるような内容のことではないので、そのときは、なだめて、すぐに話題を変えました。

「まずは家族、親子、親友、上司、同僚である前に「個々の人間」として、「他者」として認識する」

という話しを、以前の記事で書いたんですけど、自分と他者の区別ができないと、言われた言葉をそのまま自分のフィルターに通して解釈して「傷ついた」とか「ひどいことを言われた」と過剰に反応してしまうと思うんですよね。

私の母のように、親は子を、子は親を無意識に自分の分身であるかのように思っているんじゃないかなと。いくら血がつながっているとはいえ、生まれたその瞬間から、お互いが別の生命として存在するものなのに。

mother-1171569_1280
自分のすべてを受け入れてくれて、自分のすべてをわかってくれるような人間関係って、厳しいようですが現実には存在しないと思っています。

なんの境界もなしに、他者と自分がつながっているような人間関係を求めるのは「ないものねだり」ですし、その「ないものねだり」を他者に求めてしまうのは、「自分自身を愛していないこと」にあるんじゃないかなと、母をみているとそう思うんです。

-母のこと, 母の日記
-, , ,

Copyright© うつ病の人に家族がしてあげられること , 2019 AllRights Reserved Powered by micata2.