母のこと 転移性肺がん

ホスピスに入るということ

投稿日:2017年4月2日 更新日:

帰省して一週間が経ちました。

一体何から書いていいのかわからず、でも、何か書き残しておきたいと思う気持ちがあり、
何度も書いては消してを繰り返していました。

母は今、転院を2回したあと、地元のホスピスに入所しています。

こんな田舎に、こんな充実したホスピスがあるとは正直驚きました。
いや、田舎だからこそできたのかもしれませんが。
滞在先のホスピスに関しては後日また、写真を混じえながらご紹介しようと思います。

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ホスピス入所当初の母の様子

食欲もなく、自力で立てない状態だったそうです。寝返りもできなかったそうで。
当然ですが、トイレも介助が必要で、抗がん剤の副作用のせいで爪がボロボロなうえ、
指の痺れがあったので自分でズボンの上げ下げもできないと聞いていました。

私が訪問したときも、実際そうでした。
誰がどう見ても「死」に近づいているようにしか見えなかったのです。

抗がん剤治療をしていた病院の主治医によれば、
すでに抗がん剤は抜けているとのことでしたが、
とても日常生活が送れる状態ではないと思いました。

私がホスピスに滞在してからの母の変化

私が子供とホスピスに滞在してから、少しづつですが、母に変化が現れました。
ロビーで食事をしたり、おやつを食べたり、自分で立ってみると言い出したり。
笑顔も見ることができました。
今では寝返りも、ズボンの上げ下げも自分でできています。
車椅子に乗ってホスピスのお茶会にも参加しました。

食事も毎回ほぼ完食しています。
相変わらず、腰(というより、臀部?)の痛みはあるようですが、
痛み止めの服用回数も減りました。

私が来た当初は、夜中~明け方に3回は飲んでいたんですが、
調子が良いと、1回だけで済むこともあります。

「このまま何事もなくゆっくりと時間が流れていくんじゃないか」と
そんな気持ちにさせられます。

うつ病の薬(エビリファイとサインバルタ)と痛み止めによる眠気と、
ひどい倦怠感のため、会話できるのは一日のうち
トータルで30~40分程度ですが、
看護師さんに冗談を言う母を見ていると、ガンであることを忘れそうになります。

厳しい現実

先日、母の主治医でもあり、副医院長でもあるM先生とお話をすることができ、
私の中にあった疑問や不安なことを聞いていただくことができました。
不明だった部分、誤解していたことが1つ1つ明らかになっていくと同時に、
厳しい現実も見えてきました。

M先生には
「病院は病気を治しにいくところだけど、ここは治らない人が来るところ」と言われました。

私も家族も母のホスピス入所は「とりあえずの処置」だと思っていました。
今の母は自力で立つことはなんとかできても、歩くことができません。
入所したときは寝返りもできなかったのです。(今はできるようになりました)
もちろん、トイレも入浴もひとりでは無理です。介助が必要です。

抗がん剤がある程度抜けて、体が動くようになるまで、とりあえず入るところ。
そういう軽い認識だったのです。

なので、腰の痛みも一旦、検査をして原因を追求して取り除いてあげられないか。
そう考えていたのです。

しかし、ホスピスに入所すると、積極的な治療や検査はせず緩和ケアのみになります。
しないというよりは、「できない決まり」です。

転院前の病院で、母は腰のMRI検査を拒否し続け、
結局「圧迫骨折」ということしかわかっていません。
もしかしたら、すでに、腰にも転移していてその痛みが出ているのかもしれませんが、
それを知ることはできないのです。

検査をするのであれば、ホスピスを一旦退所しなければいけない。
そうなると、次はいつ入れるかわかりません。
ホスピスにいる限り(頼る限りは)は、あくまで緩和ケアのみなのです。

ホスピスに入る、入ってもらうということは、
それ相応の覚悟をしておかなければいけなかったのです。

私はM先生と直接話しをして、ようやくそのことを理解しました。

2ヶ月の壁

母の余命をM先生に聞いてみました。

 

「あと二ヶ月は大丈夫だと思いますよ」

二ヶ月。

二ヶ月なんてあっという間です。正直ピンときませんでした。

だから、悲しくもなかったし、驚きもしませんでした。
ただ、転院前の病院では「半年単位で見ていきましょう」と聞いていたので
これを知ったら弟も妹もショックだろうな。とは思いましたけど。

M先生の話しでは、ここに来た方はおよそ二ヶ月でガクッと状態が悪くなり、
そのままだんだん悪化していき亡くなることが多いとのことでした。

それまでなんらかの治療をしていた人が、もう手立てがない、
または母のように治療をやめた人が最後に来るところ。

ホスピスに入り、治療をやめると、それまで沈静化していたガンは活動を始めます。
そして、確実に体を侵食していく。
それがちょうど二ヶ月後くらいから、ということなのでしょうか。

いずれにせよ、治ることはないわけで、ガンは確実に母の体力と気力を奪っていくのでしょう。

その日の夜、母に
「抗がん剤治療をやめた意味はわかってるよね?」と聞いてみました。
母は私の顔を見ずに、頷くと
「わかってるよ。自分で決めた道だから」と答えました。

うつ病である母が、どこまで理解しているのか。
私にはわかりません。

今日が最後の日だと思って

私が帰省したこともあって、弟夫婦も妹も結構頻繁に母のホスピスへ顔を出してくれます。
母の表情が穏やかになることが増えました。

「家族がいると全然ちがう」と本人も言っていましたが、M先生も、
「ここでは医療行為はなんの役にも立ちません。それよりも、今日が最後の日だと思って
今できることを精いっぱいお母さんにしてあげてください」と。

母のこともそうですが、私自信、誠実に毎日を過ごそうと思いました。

 

今回、思いつくままに書いてしまいましたが、これからも少しづつ記録していきます。

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